1954-03-15 第19回国会 衆議院 外務委員会 第17号
終戦当時並びにそれ以後は日本の力を過大評価しておつたから、ヤルタ会議によつてロシヤの参戦を求め、また原子爆弾を二箇所に投下したというようなことになつた。その後も財閥追放あるいは武装を徹底的に解除して、われわれの家庭にある刀まで取上げるというやり方をした。これは日本の潜在的な武力が非常に強いと見た結果であると思うのであります。
終戦当時並びにそれ以後は日本の力を過大評価しておつたから、ヤルタ会議によつてロシヤの参戦を求め、また原子爆弾を二箇所に投下したというようなことになつた。その後も財閥追放あるいは武装を徹底的に解除して、われわれの家庭にある刀まで取上げるというやり方をした。これは日本の潜在的な武力が非常に強いと見た結果であると思うのであります。
従つてロシヤのような寒いところでは秋まき性の麦、秋にまきますところの麦を春まく必要が起つて来るのであります。従つて、秋まくべき麦を春まいては穂が出ませんから、これは冬の厳寒を経過すると同じように、まく前に低温で、たとえば摂氏の零度ないし五度ぐらいの温度に二週間とか三週間置きまして、そうして人工的に冬を経過させれば、それを春まきましても今度は穂が出てくれる。
それ以後ロシヤ語とイタリア語をぜひやりたいと思つておりましたけれども、機会がなかつたので、京都の帝大へ行つてロシヤ語の講座——ギリシヤ語とロシヤ語とちよつと似たようなところがありましたので、興味を持つてやりました。私は全期間を通じて出席したわけではありません。一週二時間一回の講義ですが、半年ぐらいも通わなかつたと思います。
○鍛冶委員長 今言つたように日本語が主であつて、ロシヤ語は重要なことは覚えているが、全部は覚えておらぬと言われるにもかかわらず、これをロシヤ語をつけて出されたのはどういうわけで、どういう意味で出されたのですか。
○鍛冶委員長 それだから、それによつてロシヤ語を通訳した……。
そこで、この言葉は、当時通訳したところのロシア語の堪能な証人によつて、ロシヤ語で国会に発表されたのであるが、この仮定が仮に事実であつたとしよう。どこが不思議か。平和と民主主義とのために闘つているソヴイエトの人民及び兵士が、(「共産党とは違う」と呼ぶ者あり)捕虜てなつた日本人に対して、諸君が民主主義者となることを日本共産党は求めていると言つたとすれば、それは当然である。我々はそれをすべて求めている。
十年の刑を言渡されたということを言つて、而も大隊全員に対して收容所長並びに政治部将校が公布する型と、第二番目は、何とも分らないけれども、收容所からぱつと引拔かけて行つて刑務所に行つて、ロシヤ人のいわゆる監獄で一緒に働いているという型、この二つの型があります。
私は日本人であつて、ロシヤのために一言半句の弁解をする必要はない、義務もない。また同時にロシヤを悪く言うような専門議員でもなければ、悪たれ議員でもない。その点ははつきりしておきます。ロシアがああいう話をしたからといつて、私に何の責任があるか。それを私は承りたい。
さらに過日の対日理事会におきましても、マツカーサー書簡をめぐつてロシヤ代表が反対することは、今さらここで取上げる必要はありません。しかしイギリス代表は、この問題の審議にあたりましてはマツカーサー書簡が行過ぎだ、行過ぎだというその内容につきましては、少くとも現業と非現業とを区別しなければならない。そうして團体協約権を與えなければならないということを強く指摘しておるのであります。
しかるに一九一七年になつてロシヤに革命が起り、ロシヤは四月にレニングラードに歸つてまいりました。そして皆さんの御衆知の四月テーゼというものを發表し、當時ロシヤに起つていたいわゆるブルジョア民主主義革命をただちに社會主義革命へ推進しなければならねということと、革命的なインーターナショナルをつくる必要があるということを發表したのであります。